悟りに関して

[悟り]ラマナ・マハルシとの対話 全3巻[計653の対話]を読んで。揺るぎない真我の智慧

 
 
こんにちは。
 
リリです。
 
最近、インドの聖者ラマナ・マハルシ
本ばかりを読んでいます。
 
なぜかと問われれば
自分でも理由はわからないのですが笑
今、自分に必要な本だと直感的に感じています。
 
 
今回、私が読んだ
「ラマナ・マハルシとの対話 全3巻」
5年間にわたるラマナと探求者との
全653の対話を内容についてが記されており、
全1500ページ以上にわたる、
かなり濃密な対話記録集になります。
 
 
この「ラマナ・マハルシとの対話」は、
世界では”Talks”として出版され、
ラマナの教えを直接に、よりありのままに残し
正確に伝えているものとしても有名です。
 
 
「ラマナ・マハルシとの対話 第1巻」によると、
この全3巻に記録された1935年〜の5年間は、
”ラマナ・アーシュラマム”が
(生前ラマナのいた場所であり、道場のような場所)
もっとも栄えていた日々であると言えるそうです。
 
 
というのも、ラマナは晩年、癌に侵され
会うのも制限がされるようになった時期があったのですが、
この当時のラマナの健康状態はとても良好で、
彼がいるホールには昼夜問わず
全ての人に開かれていたからです。
 
 
当時、
ラマナはほとんどの時間を起きていて、
真夜中に訪れる訪問者の問いかけにも
丁寧に答えたんだとか。
 
それはどの時間でも訪問者が
ラマナ・マハルシに会えるように、という
ラマナの優しい配慮だったそうです。
 
というわけで、今回は
そんなラマナ・マハルシとの対話
全3巻、計653の対話を読んでの
感想・気づきのシェアをさせてもらいます。
 
 

ラマナ・マハルシとの対話 全3巻を読んで。

 
 
第1巻に関しては、
以下の記事で詳しく書いたのですが、
 
 
 
今回、全3巻を読み終えて、
ラマナの根気強さと
一切ブレない真我からくる一貫した言葉
何度も胸を打たれる部分がありました。
 
 
悟りの探求者の多くが
知的好奇心の満足を埋めようとしたり、
思考・マインド(エゴ)で
それを超えた真我を掴もうとしてしまうものですが、
そういった質問にもラマナは丁寧に、
でも一貫して真我からくる言葉を明快に伝え続けていて、
本当にわかりやすかったです。
 
 
そもそも、
質問それ自体がエゴの産物なのですが
エゴを起点として問いかけを行う
数多くの探求者に対して、
ラマナは一貫して真我を起点として、
「エゴはあなたでは無い。」ということを前提に
答えを与えてくれるので、
その瞬間エゴが静かになって気づきが起こります。
 
 
私が日頃、大切にしている教えとして、
 
ラマナとも親交のあったあるヨガナンダジの
 
「エゴはこの世界をとても複雑にしたがるが、
真理はいつだって非常にシンプルである。」
 
という言葉があるのですが
まさにラマナの言葉には
その一貫した真理の視点からくる
シンプルさがというのがありました。
 
 
例えば、
 
質問者が
 
「明け渡した後にも漂い続ける心とは何なのでしょうか?」
 
という質問をラマナに行ったのに対して、
 
ラマナ「明け渡した心がこの質問をしているのでしょうか?(笑い)」
 
とブレない真我の視点からの
一貫した答えに導いていたり、
 
質問者「私は真理を知らなければなりません。」
 
ラマナ「あなたは真理を教わりました。
教えは与えられたのです。あなたが誰なのかを知りなさい。
それが教えの全てです。」
 
というようなとてもシンプルな教えを授けたり…
653の対話の中には、
こんなやりとりが沢山あるのですが、
その全てが、真我からくるわかりやすい答えでした。
 
 

ラマナの滲み出る愛と慈悲の優しさ

 
また、随所随所にラマナ・マハルシの
愛と慈悲の優しさが
にじみ出ていている部分もあって、
読んでいてとても癒されました。
 
 
例えば、ラマナ・アーシュラマムには
日々、たくさんの人が訪れていましたが、
限られた期間しかそこに停まれない人というのも
たくさんいました。
 
しかも遠い異国から来た人などは、
次、いつ訪れることが出来るかも不明で
 
「この場所から離れてしまうと思うと
胸が張り裂けそうです。
私が師から遠く離れていても
くじけず頑張っていけるようなメッセージをください。」
 
というようなことを言う人も多く。
 
 
そんなラマナアーシュラマムから
去らねばいけない悲しみにくれる人々に向けて、
ラマナは
 


「師はあなたが考えているように外側にいるのではありません。
師はあなたの内側にいる真我(神・実在・悟り)なのです。
この真理を理解しなさい。あなたの内面を探して、
そこに師を見出しなさい。
そうすれば、あなたは師との絶え間ない
霊的交流を持つことでしょう。
メッセージはいつもそこにあります。
それは決して沈黙してはいません。
それがあなたを見放すことなどけっしてありえず、
あなたが師から立ち去ることもけっしてできないのです。」


 
と伝えました。
 
 
これを聞いた質問者の1人のローレイ氏は
ラマナの教えに精通していたにもかかわらず、
その答えに胸を打たれ、明らかに感動していたそうです。
 
 
こんな風に、ラマナは、
ラマナの元を離れることに苦しむ人々に対して、
 
たとえグルが近くにいなくても、
真我はあなたの内側にある。
 
と言うことを優しく力強く、
伝えてくれたのです。
 
 
このメッセージは私自身、
とても勇気が湧いて来て、
励まされるものがありました。
 
 
ラマナは、
私が生まれた頃にはもうとっくに肉体を離れていて、
実際に身体として会うことはできないけれど、
真我は変わることなく、今ここにあると
改めて知ったからです。
 
私の、そしてあなたの内側にあるんです^^
 
 
また、「ラマナ・マハルシとの対話」では、
対話以外にも、純粋にラマナの優しさが
わかりやすく出ていたエピソードが
紹介されていました。
 
 
私が好きなエピソードが
 
「ツバメの夫婦と巣」
 
の話です。
 
 
ラマナの優しさと愛がにじみ出ているエピソードで
読んでいるだけで癒されたので、
シェアさせてもらいます^^
 
 


ラマナ・マハルシ
「たった今、ツバメのカップルがここにきて、
彼らの巣が取り払われてしまったと私に苦情を訴えに来たのです。
見上げると彼らの巣が見当たりません。
 
マーダヴァ(ラマナの従者)、誰かがツバメの巣を取り払いませんでしたか?」


マーダヴァ
「彼らが巣を作るたびに私が取り払っているのですよ。
今日の午後にも最後の1つを取り払ったばかりです。」
 
ラマナ・マハルシ
「やっぱりそうだ。だからツバメが不平を訴えに来たのです。
かわいそうに!藁を運んで来ては小さなくちばしで細かくし、
どんなに苦労をして巣を作って来たことか!」
 
 
マーダヴァ
「それでもなぜここに、私たちの頭の上に作らなければならないのです?」
 
ラマナ・マハルシ
「さてさて…。最後に思いを遂げるのは誰か見てみましょう。」
 

ーこの後、ホール内の別の一角の天井近くに木の板が取り付けられ、ツバメはその上で卵を産んだ。
雛は無事孵ったが、そのうちの一羽が巣から落ちてしまった。
マハルシはその雛にミルクを与えてやり、それから巣に戻した。
数ヶ月後、雛たちはみな飛び方を学び、無事に大空に飛び立っていった。
 
 
 

彼がごく当たり前のように動物と会話できるのは、
彼がきっと対等にそして親密に彼らに接しているからであり、
彼の元にはよく、リスが遊びに来たり、
牛が異常になついたり、犬がなついたり、
そんなことがよくあったそうです。
 
 
ラマナはよく”沈黙の人”として知られていますが、
実際はこんな風にとても愛情深い人です。
 
 
彼が多くの時間を沈黙で過ごしたのもまた、
言葉を超えた臨在の恩寵を
人々に与えるためであり、
全ては完璧に愛によって起こされた行動なのだということが、
今回この対話集を読んでわかりました。
 
 

ラマナの真我からくる宝石のような言葉たち

 
 
今回の全3巻の対話での
ラマナの悟りの智慧をいくつか抜粋します。

 


なぜたった今、
この瞬間に安らがないのでしょうか?


 


意識→「私」という意識→身体意識→身体
 
常に存在するのは意識であり、
意識以外には何も存在しません。


 


「私が行為者である」という感覚を

持ち続けている限り、欲望は消えないでしょう。


 


自分自身の面倒を見なさい。
世界は世界でそれ自身に
面倒を見させればいいのです。
 
あなた自身の真我を見なさい。
もしあなたが身体として在るなら、
粗大な世界もそこにあるでしょう。
 
もしあなたが霊性として在るなら、
全てが霊性の現れとなるのです。


 


全ての現象は移り変わり、過ぎ去っていきますが、
「一なるもの」(実体)は常に変わりません。
知る者、知識、知られる者という三位を超えた、「それ」。


 
 


あなたは常に「それ」であり、
けっして「それ」から離れたことなどなかったからです。
 
真我として在ることほどシンプルなことはありません。
 
それは努力も助けも必要としません。
人は誤った自己同一化を棄て去って、
永遠の、自然な、本来の状態にとどまらねばならないのです。


 
 


新しく得るものなど何もありません。
その反対に、「自分は至福ではない」
とあなたに考えさせる無知を
取り除かなければならないのです。

 
 


真の境地は二元性を超えた真我なのです。
人が気づいていようといまいと
それは永遠に不変です。


 
 

あなたの源はあなたの内側に在ります。
あなた自身をその源に明け渡しなさい。


 


眠り(睡眠)から目覚めた瞬間から
自我が立ち現れる寸前までの間に体験される純粋な光が
普遍的意識です。
 
そてはハートから発せられ自我に反映される光です。
 
その反映がなくなり、
ハートの中の原初の光としてとどまることが、
最終解脱です。


 


唯一の道は、いかなる環境においても決して
自分の真我を見失わないことです。

この世のあらゆる不幸や災難に対する
唯一の療法は、「私は誰か?」と探求することです。
そしてそれが完全な至福でもあるのです。


 
 

もし、ある人が解放を切望しているなら、
内なるグルが彼を内面に引き込み、
外側のグルが彼を真我の中へと後押しするでしょう。
 
これがグルの恩寵というものです。
 
 
 
 


実際のところ、真我が束縛されたことなど
一度もなく、それゆえ解放もあり得ません。
あらゆる問題が自我にとってのみ存在するのです。

 

悲しみを避ける方法とは、生きないことです。
 
悲しむ人(自分の自我)を殺しなさい。
 
そうすれば、苦しむ人がどこにいると言うのでしょう?
 
自我が死ななければならないのです。
それが唯一の方法です。


 
(ラマナ・マハルシとの対話からの引用)
 
 
以上の教えが特に私の心に刺さった
ラマナの智慧たちです。
 
こうして対話の一部を紹介しても
ラマナが一貫して「真我として在ることが全て」
伝えてくれているのがわかります。
 
 
質問者は真理を知りたいが故に、
色々な角度から質問してきますが、
ラマナの答えはいつもとてもシンプルで、
「自我ではなく真我だけが在る。」
という真実を教えてくれています。
 
 
ということで以上、
「ラマナ・マハルシとの対話 全3巻」
を読んでの感想・気づきでした。
 
 
悟りの本は私たちの視点を
自然に内面へと向かわせ、
心を静かにしてくれます。
 
究極かつ、宗教を超えた普遍の真理。
 
「悟り」の智慧に感謝です。
 
 
 
PS.
 
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それでは今日も、
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
 
愛を込めて。
 
 
リリ